満生邸周辺散歩に参加しました

2013年6月8日 manno Tag : ,

満生邸周辺散歩に参加しました

満生(みついき)邸は、明治30年代に建てられた地域を代表する大規模な建物で、現在は現状の形で残しながらも地域での活用のお役に立つような活用を担ってみようということで古材の森(油機エンジニアリング)がイベントを企画されました。一部では、満生邸周辺を散策して地域の風土や歴史を学び、二部では、博多の歴女白駒妃登美さんによる講演が行われました。

満生邸
威厳のある門、イベント開始直前の写真。地元住民、郷土・歴史に関心のある方が多く参加されていました。

土間にある釜戸
この釜戸は日常生活で使うものではなく、台所を守ってもらう為に祭られているもの。装飾が何とも可愛らしい。

IMG_1718
満生家は農業を主とした地主。今のこる建物は、明治29(1896)に建てられたものと推測されています。門を潜ってまず初めに目に止まったのが美しい庭。そして土間に入ってすぐ右手にあるグランドピアノ。去年亡くなられた満生豊子さんがとにかくクラシック音楽が好きで、本格的にクラシックを学び、外国語も堪能で、音楽会、舞踏会を良く開いていたそうです。写真は講演前、3部屋の襖を取ると広い広い..。

一貴山駅近く
最寄りの駅である、JR筑肥線一貴山駅。1924年(大正13年)北九州鉄道の駅として開業。当時の駅周辺は満生家の所有地だったといわれています。いかに大きな地主だったかが伺うことができます。
一貴山周辺散策は、満生邸隣にある銚子塚古墳から。ここは四世紀後半に造られたものと考えられており、玄界灘沿岸では最大級(全長103m)の前方後円墳。出土した10枚の青銅製の鏡からは、金メッキを施されたものもあったようです。風の通り口を作ろうと、山(実は古墳)を掘ったらこれが大規模な古墳であることが発覚したらしいです。当時の人はさぞ驚いたでしょうね..。

神在村へ
一行は、神在村の藤瀬家、納富家に向かいました。

吉富家に残る石碑
石碑には「塩石之由来」と彫られています。神在の納富庄右衛門は享保の大飢饉の際、飢えに苦しむ村人を救うためにおにぎりを置いて村人に食べてもらったという話が残っています。その時、庄右衛門は私財を惜しみなくつぎ込んで村人を救ったため、資産は十分の一程に減ったしまったと言われています。

熊野神社
一貴山(田中村)周辺は、遡ること江戸時代は筑前黒田藩の藩領?と思いきや幕府領でした。東側の神在村はと言うと享保二(1717)年、唐津領から中津領に換えられたりとこの辺の領境は複雑だったようです。幕府領があるのは黒田藩が不審な動をされないように、監視の意味で置かれていたのでしょうか。。他にも色んな場所を散策したのですが、一貴山周辺を歩いただけでこんなにも歴史、物語が残っているとは思ってもいませんでした。

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